長唄東音会「江戸吉原を聴く!~長唄が描く廓の世界~」
本日、東音会さん主催の演奏会に伺いました。
そのタイトルもズバリ「江戸吉原を聴く!~長唄が描く廓の世界~」というもの!
江戸期に生まれた長唄のうち、吉原遊廓のシーンを描き出した作品をピックアップした吉原特集でした。
演奏会の進行は、落語家の古今亭伝輔さん。
軽快なテンポで吉原の豆知識やクイズを挟んでくださったことで、演奏会は一気に「江戸」の雰囲気へと…。
私は自身の研究において、「実際に吉原で演奏されていた音楽」を明らかにしようとしています。
これと「吉原を描いた音楽」というのは決して同義ではありません。
もちろん、歌舞伎などで流行した長唄がそのまま吉原に流入してきた、ということも大いにあったでしょう。
しかし、(重複しますが)両者は同義ではないということを前置きしておきたいと思います。
とはいえ、吉原と芝居文化は切っても切り離せない関係をもっていますから、「吉原を描いた長唄・その他さまざまな種目」については、当然私も知識をもっておかねばなりません。
今回の演奏会は、そういった意味でも大変学びのあるものでした。
伺うことができとても良かったと思います。
日本人は裏拍が苦手?
さて、少し話は変わりますが、日本人の音楽観について常日頃感じていることがあります。
クラシックやポップスの演奏会などでは、しばしば手拍子が促されるときがありますよね。
このとき、演者側は裏拍での手拍子を想定しているのでしょうけれども、観客の方は表拍で手拍子をしてしまっているシーン…なんとなく見覚えがありませんか?
こういったシーンに対して、よく「日本人は裏拍がとれないから…」という笑い話になります。
「日本人は裏拍がとれない」…。
これにちょっとだけ、ツッコミたいのです。
確かに、これまでの日本人の暮らしや生活環境から、表拍の方が馴染みがある・表拍文化が形成されてきた、というのは一理あります。
しかし、江戸期ではどうだったか。
鼓の音楽には「チリカラ拍子」というものがあります。
長唄などに取り入れられる囃子の一種です。
簡単にチリカラ拍子の基本構造を説明しますと、
チリとは大鼓の音、カラとは小鼓の音を示し、大鼓・小鼓をそれぞれ二回ずつ連続して叩きます。
それが「チ・リ(大鼓/表間/強拍部分)・カ・ラ(小鼓/裏間/弱拍部分)」となるわけです。
(YouTubeなどにも動画があがっておりますので、ぜひ実際に聴いてみてください♪)
つまりカラは裏拍なのです。
チリカラ節はスピード感をもって演奏されるのですが、実際に聴いてみると裏拍もしっかり聴こえてノリノリになります。
もちろん、ポピュラー音楽などの裏拍文化に染まった現代の耳だからこそそう聴こえる・「今風に」ノッてしまう、というのはあるかもしれません。
しかし、この軽快でリズミカルなチリカラ拍子は、「裏間」、つまり裏拍の存在を、かつての日本人の耳に確かに届けていたはずなのです。
ですから、「日本人だから裏拍が取れない」というある種の自虐的見解が生まれることに対して、あながちそうでもない時代があった、というツッコミを入れておきたいと思います。
しかし、どうしてもやはり、演歌や民謡などを聴く際に自然と出る「両手を揉みながら手拍子するアレ」…
「日本人は表拍文化」という言葉から連想されるのは、特にこの↑手拍子です。
(最近は滅多に見ないかも…?笑)
チリカラ拍子という囃子も存在する中、なぜ我々は表拍に落ちついてきたのか。
言い換えれば、なぜ「日本人=表拍」と未だに冗談めかして言われるのか。
(※そして、令和に入ってその状況は更に変わりつつありそう。)
その明確な変遷を明らかにしていくと面白そうです。
今後の課題のひとつとしたいと思います。
話がだいぶ広がってしまいましたね💦
東音会さんの益々のご発展を、心よりお祈りいたしております✨
ありがとうございました♪